◎『死馬にも乗って』について    BY 著者ロバート・クレイン
  
 『死馬にも乗って』ですね。これは日常生活にあれこれ悩みの尽きない青年の話です。彼は悩み事に直面して一生懸命たたかいますが、そもそも、その悩みの種とは社会慣習そのものなんです。彼には大いに気にします。私たちだって生きている上での不安や恐怖は多少ありますよね。でも、この青年は自己判断せずに、なんでも真実にとらえ、あれこれ手を尽くします。彼は他人との有益な関係を避けます。それこそ自分を窮地に落ち込ませる元凶になるからです。いかなる場合にも他人に頼らずにいたら安全というのが彼の信条です。ときに窮地に落ち込みそうになると、率先して自ら痛手を受けます。それにしても彼の欲求ときたら、きまって他所に向かいます。あれもこれも欲しがります。もともと、どんなに希望しても、遅かれ早かれ無駄足になってしまうと思うからです。ですから、駄目になってもケロっとしています。彼は開き直って言います。「ほらね、だからぼくが言った通りでしょう」
おおかたの読者にとって『死馬にも乗って』は愉快な小説のはずです。それは読者が登場人物が徹底してやり込められるエピソードを大いに楽しめるからなのです。けれど、私がこの小説に読み取って欲しいのは、この小説の主人公が自分にすら失笑しているところなのです。主人公は自分の弱点や苦悩に失笑しています。このおどけ者の道化師は読者が出来ることならしてみたい思う行動をキッチリ実行してみせます。でも普通、私たちにはそんな勇気はありません。私たちは他人の目を気にしますもの。
 この青年の素晴らしいところはそこなんですよ。彼は自分の気持ちの赴くまま、物事に興味を示します。一般的な意味での社会道徳に反した行為をして、変人に見られようと彼はおかまいなしです。
 作中人物たちのばかげたキャラクターは意図して書きました。ですから読者は作中人物に感情移入して困惑することなく読めるはずです。読者は罪意識なしに心貧しい作中人物を他人事に笑っていられます。でも、自分に正直な読者があれば、読んでいるうちに、ただクレイジーなだけの作中人物たちを自分の分身かなと感じるでしょう。不本意なりとも、その辺に私たちのかかえる問題がありそうですね。


                −−パブリシャーズ・ニュースより−−
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